My Favorite Cars① ザウバー・メルセデスC11
ぶっちゃけ最近ネタが少なくて困ってます(笑)。
で、
とりあえず自分の趣味的なモノでも紹介してみるかな~、と考えていたりして。
つまりそれは、
車。
ですので車があまりお好きでない方はあまり面白くないブログになるかもしれませんが(汗)、これから「My Favorite Carシリーズ」はじめさせて下さい。
どうせ今までのテキストも独りよがりだったし(笑)。
あ、ちなみに記憶をたどってテキスト書きますので説明が間違ってても笑って許してくださいね(汗)・・・
と、いうわけで、シリーズ第1弾、ザウバー・メルセデスC11。
蘇った伝説
モータースポーツの分野においてこのザウバー・メルセデスC11を語るには遠く1955年までさかのぼらなければならない。
1950年代、ドイツの巨人とアルゼンチンの天才ドライバー、ファン・マヌエル・ファンジオのコンビは当時のフォーミュラー・レースで絶対的な強さを誇り、その銀色に塗られた車体をもって当時のレース界でメルセデス・ベンツは「シルバー・アロー」と呼ばれ、その栄華は永久に続くものと思われていた。
しかし1955年ル・マン24時間レース。ここでメルセデス・ベンツはその後の運命を大きく変えてしまう歴史的な悲劇に見舞われる。
レース開始からほどなくしてエントリーされた3台のメルセデスのうち1台がホームストレートで突如コントロールを失いトップスピードのまま観客席に飛び込む前代未聞の大アクシデント。
ドライバー、観客総勢80名以上が死傷するという惨劇を引き起こしたメルセデス・ベンツはこの大会はもちろん、これによってモータースポーツへの参戦を中止、以後サーキットに「シルバー・アロー」の姿を見る事は無かった。
時は変わって1986年、グループCと呼ばれるレーシングカテゴリーで争われていたスポーツ・プロトタイプ選手権(WSPC)にて、プライベートチームのザウバーが送り込んだマシン。その車に積まれていたエンジンにはスリー・ポインテッド・スター。つまりメルセデス・ベンツのエンブレムが刻まれていた。
31年の空白を経てドイツの巨人がついにレース界にカムバックを果たす。しかしこの年のザウバーのマシンはメインスポンサーである香水メーカーのカラーに彩られ、メルセデス・ベンツがメルセデス・ベンツたらしめる「シルバー・アロー」復活は更に3年後、1989年の「ザウバー・メルセデスC9」登場まで待つ事になる。
その全身銀色に塗られた車体、ザウバーメルセデスC9。シルバー1色というシンプルなボディーカラーもさることながら「直線を曲面で構成する」シャープでありながら流麗なボディーデザインは各部のディメンジョンがほんの数センチでも変わればその魅力を失いかねないほど、今見てもため息が出るほど美しい。
しかもこのC9は速かった。
1989年ル・マン24時間レース、復活した「シルバー・アロー」は実に危なげの無い走りで見事に1-2フィニッシュを達成。この年のWSPCでも年間王座に輝く。
優勝ドライバーはヨッヘン・マス、ロイター、ディケンズ組。
そしてその2年後に登場したのがここに紹介した2枚の写真のザウバー・メルセデスC11である。
C9から更に戦闘力を増したC11は5リッター・ツインターボで予選での最高出力は900馬力以上、車体重量もグループCカー規定の960kgと記憶しているからパワーウェイトレシオは1kg/psに限りなく近い。
ちなみにこのC11の31号車は1991年のル・マン24時間で、あのミハエル・シューマッハーもドライブしている。
満を持して臨んだそのレース、優勝予想も圧倒的にメルセデス優位ではあったが、スタート16時間経過時点でトップに立っていた1台がまさかのトラブル。その後の追い上げも届かず2度目の総合優勝の夢はついえてしまう。
そしてその「伝説のシルバー・アロー」を破ったのは唯一のロータリーエンジン搭載マシン、日本のマツダ787B。
日本メーカーのワークスマシンがル・マン24時間に勝利したのは後にも先にもマツダ787B以外に無い。
1991年のル・マンは伝説を破った日本のロータリー・エンジンが新たな伝説を築き挙げた歴史的にも価値のあるレースであった。
ここみてるお友達が車系じゃないから仕方ないねぇ
私の日記も同様ですわっ
1番カキコ多いのが、面白占い♪次がゲイナイトですわ